日本文化を理解した上で日本語を学びましょう

October 2014

World Cultural Heritage Site – Kinkaku (The Golden Pavilion)

By |October 23rd, 2014|

World Cultural Heritage Site – Kinkaku (The Golden Pavilion)

Kinkaku (The Golden Pavilion) is a shariden, a Buddhist hall containing relics of Buddha. The pavilion is part of a temple that is formally named Rokuon-ji Temple, but commonly called Kinkaku-ji […]

May 2014

なぜ日本人男性がよく働くのか?

By |May 11th, 2014|

なぜ日本人男性がよく働くのか?
日本人は自分の会社のために骨身を惜しまず、ひいてはそれが自分のためにも、また会社の方針を通じて国のためにのなると考えて働きます。そして会社も家族的な一体感を非常に重要視して、親睦といって社員旅行をしたり運動会を開いたりして、社員の一体感を養うことに努めます。

こうした会社の経営は、昔から日本にあった日本的な徒弟制度の延長であるといえるかもしれません。日本の商家では番頭さんを家族の一員として考えられ、商家の主婦は、彼らの寝食の世話から相談ごとまで引き受けたものでした。そうすることによって、主人と番頭さんが一体となって働き、それが店の繁栄にもつながったと思います。

日本電子製品は高品質ですか?

By |May 9th, 2014|

日本の電子製品は高品質ですか?
昔と比べて日本の電子製品は非常によくなった、故障もないしアフターサービスも行き届いている、というような日本の電子製品に対する賛美のことばが聞かれますが、それは日本人の中に品質に対する潔癖症、すなわち不良があったら恥ずかしい、心苦しいといった良心の呵責のような気持ちがあって、みんないい品質のものをつくろうと心がけたから、海外からこのような評価が得られるようになったと思います。

これは明治になって日本が欧米から教えられた思想ではなく、日本人が古来からもっていたものの考え方に基いていると思うのです。電子製品の品質のみならず、一般的には「恥」と「誇り」の思想が、日本人の行動を大きく左右しているように思われます。人に負けるのは恥ずかしい、いい仕事をしなければ恥ずかしい、という気持ちが努力をうみ、その結果いいものをつくるようになった。そしていい仕事をしたときの喜びは誇りとなってさらに努力を重ねるというふうに。

日本のめん類

By |May 6th, 2014|

日本のめん類
日本では、軽い食事としてめん類が人気です。主なものに「そば」「うどん」「ラーメン」があります。

そばは、そば粉を水などで練ったものをひも状にしてゆでて、ネギなどと熱いつゆに入れて食べます。また、冷たいつゆにつけながら食べるのも好まれています。

 

うどんは、小麦粉を練ったものを、そばよりも太いひも状にして、そばと同じようにして食べます。

また、ラーメンは中国風のめんと、中国風の熱いスープに入れて食べるものです。「そば」「うどん」「ラーメン」共に、いろいろなバリエーションがあり、すすって音を立てて食べます。

 

April 2014

日本の住宅

By |April 20th, 2014|

日本の住宅
日本では部屋の広さを表すのに「–畳」という言い方をします。畳はたたみのことで、その部屋がたたみ何枚分の広さかを表します。たたみ1枚の大きさは一般には90cm×180cmぐらいですが、多少の大小はあり、近頃は昔より小さいようです。主な部屋の広さは、4畳半・6畳・8畳・10畳などです。

また不動産屋の広告などで、2LDK・3DKなどとある場合は、Lは家族が集まったり、くつろいだりする居間で、ソファーを置いたりします。Dは食事をするところで、テーブルやいすを置きます。そしてKは、キッチンのことです。2や3などの数字は、それ以外の部屋の数を表します。しかし実際は、見てみないとわかりません。2LDKのほうが3LDKよりも広いということだってあるのですから。

相撲

By |April 19th, 2014|

相撲について

相撲は日本の国技で、古来からあり、現在のような形になったのは、18世紀初めか中ごろからと言われています。相手の体(足の裏以外)を土俵につけたり、また土俵の外に出した方が勝ちです。決まり手と言われる70の技があります。

ランクは最高位が横綱で、以下、大関・関脇・小結・前頭などが続きます。大関で二場所連続優勝するなどの成績を収め、横綱審議委員会が安定した強さを認めた力士が、横綱になれます。

さようなら

By |April 18th, 2014|

さようなら
オスカーは、日本に来てまだ間がないのですが、自分の国で2年間日本語を勉強してきたので、少し自信があります。

ある日、友達の三島さんの会社にアルバイトに行きました。頼まれた仕事が終わり、オスカーは先に帰ることにしました。職場では、先に帰るあいさつに「さようなら」はあまり使わないと聞いたことがあるオスカーは、大きな声で「お先にお帰りします」と言いました。

しかし、周りの人たちは笑いたいのをこらえています。もちろん、「お伺いする・お送りする」のような敬語表現はあるのですが、「お帰りします」という言い方はありません。この場合は「ほかの人たちがまだ働いているのに、先に帰ってすみません」の意味を含んだ「お先に失礼します」と言うのが一般的です。そうすれば、ほかの人たちは「お疲れ様でした」と答えてくれるでしょう。どうしてもわからなくなったら、もちろん「さようなら」だっていいのです。

 

日本人の初対面

By |April 14th, 2014|

日本人の初対面
日本人はまた、初めての人に「お子様は何人ですか?」とたずねることがよくあります。相手が女の人の場合、「そういう質問をすることは、失礼ではないか」と、よく西洋人などは思う人がいるようであります。これも別にその人の秘密を探ろうというわけで聞いているのではありません。

日本人は、昔から家というものを大切に考えました。子供が生まれないで家の血統が絶えてしまっては大変だと思っておりました。ですからこのようなことを聞くのでありまして、答える方も大体正直に言っております。「3人です」というふうに答える。そうすると相手は、「それはお賑やかで結構ですね」といったようなことをいって喜んでくれます。

一人しか子供がいない場合には、「まだ1人です」と答えます。そうしますと、「それはお寂しいですね」といってみたり、あるいは「もうお1人ぐらい(子供があった方がよろしいのに)」というようなことをいうと思います。これも、こちらの家というものを心配してくれている、そう考えて、日本人は子供のことを聞かれても、それを嫌がりません。

日本人の家を訪ねる

By |April 14th, 2014|

日本人の家を訪ねる

それから、日本人が知り合いの家を訪ねたといたします。その時に、よくお土産を持っていきます。そのお土産を差し出すときのあいさつが、また変わっております。「これはまことにつまらないものですが」といって差し出します。アメリカの人などは、はじめてこの言葉を聞きますと、「つまらないものを持ってこないで、もっといいものを持ってくればいいではないか」と思うようであります。

ではなぜ日本人は、そのような場合に、「つまらないものを」というのでしょうか。日本人は、ほかの人から何か好意を受ける場合、そのことをいつまでも覚えていて、将来それに対して報いをしなければいけない、と思っております。日本人は、そういうことから、その前に何か好意を受けた場合、その次に逢った時にはそのことを必ず話題にします。そうして、「先日はありがとうございました」というようなお礼の言葉を述べます。もしそれを忘れておりますと、

「恩知らず」と言われます。そうしてまた、お礼の言葉を述べるだけではなくてその好意に相当するお返しをしようと思います。

日本のご馳走文化

By |April 14th, 2014|

日本のご馳走文化

日本人はほかの人に何かご馳走する場合、「何もございませんが、召し上がってください」とよく申します。もし本当に何もなかったら、食べられるはずがありません。

これはどういうことかといいますと、「これを食べても食べなかったと思ってください」という意味でいっているのであります。ですから、「つまらないものですが」といっているのとまったく同じ精神であります。

さらに、日本人は、久しぶりで逢った人に対して、「先日は失礼いたしました」という人が多いようであります。これは、外国人のうちには、やはり心配する人が多いようであります。「自分は確かにこの前この人に逢った。その時には、この人は何も自分に悪いことはしなかった。それなのにいま、「先日は失礼しました」というところを見ると、自分の知らない間にこの人は私に何か悪いことをしたのかもしれない」そう考えて心配する人があるといいます。

が、実際にはそのような心配をする必要は全然ありません。日本人はこう考えているのです。「私はこの前この人に逢った時に悪いことをした覚えは別にない。しかし自分は不注意な人間だ。だから自分は悪いことをしたつもりはないけれども、この人に何か迷惑がかかるようなことをしたかもしれない。それならば、今あやまっておかなければ。」これが日本人が考えることであります。